七割生活,とほほ

ちょっとニッチな分野の文系研究者による日々の感想とか,いろいろ

編み物発作。

抗がん剤の副作用でアタマが働かないなど、いろいろありました。
いや、正確にいえば、普段服用している抗うつ剤、安定剤が、抗がん剤との相性が悪く、そのため、病院から心療内科を紹介してもらい、いままで、15年ほどのんで依存してしまっていた、パキシルソラナックス、から離脱し、サインバルタデパス、レメロンにかえました。その移行期間に抗がん剤の副作用の貧血などがかさなって、まったくアタマがはたらかず、めまいがするなどつらい時期があり、本も読めませんでした。読んでもアタマにはいってこないのです。
 ということで、療養中にはまったのが、編み物です。
去年もセーターを一着思いつきで編んで、のこりの毛糸があったのですが、ついつい雑誌を買って、ネットで見て、情報を仕入れてしまったのが、運の尽き。
 野呂栄作の毛糸が欲しくてたまらず、買い込んでしまいました。
その結果、二着を編みました。並太のくれおぱとら、という糸で編んだセーター(雑誌に載っていたまんま)と、極太のひつじの糸で編んだ自分でのアレンジジャケット。抗がん剤の副作用で味覚異常があって、料理も楽しめないし、アタマもまわらないので、ひたすら、編み物にのめり込みました。
 できあがってみると、野呂の糸がきれいだな〜〜〜。コスタリカか東南アジアの熱帯の鳥みたいな色合いだな〜〜〜。だれが着るのかな〜〜〜、黒しかあわせられないな〜というようなものになりました。まあ、恥かくのはわたしだからいいか。

 

乳がん闘病中 抗ガン剤の副作用に耐えている最中

8月初旬に、地元の乳がん治療では扱う症例数が圧倒的に多いS病院に入院しました。抗ガン剤治療が始まりました。

乳がんとしては「早期」ということで、
術前抗ガン剤治療 で 腫瘍を小さくし、そのあと、手術、そのあと、ホルモン療法ということになります。
まずは入院10日して、抗ガン剤の影響を見ます。FEP療法というやつです。よく抗ガン剤の過酷さで、抗ガン剤を否定する人もいるようで、いろいろ忠告とか抗ガン剤やめろ見たいな説得もされましたが、そんなもん 患者になってから言え!という感じ。まずは 試してみます。
抗ガン剤は劇薬で血管を傷つけることがあるとのことで、鎖骨の下に、まず、抗ガン剤点滴のためのポートを埋め込み、直接太い血管に流すようにします。その手術の時、わき下のセンチネルリンパ節を生検でとって転移を調べるのですが、手術中に「あ、これ病理検査出しといて」「急ぎますか?」「急がないから〜」という会話があり、のち、転移なしとわかりました。やれやれ。転移がないとかなり楽です。
そのあと、病室(相部屋)に戻り、2日後には第一回目の抗ガン剤点滴。赤い薬(なんというのか?)とエキセドリン、もう一種を点滴しました。そのあとは副作用の様子見。実際副作用があまりに個人によって多様なので、典型的な推移は言えないということでしたが、私の場合以下のような状態。

抗ガン剤投与1〜3日目 軽い吐き気と全身倦怠、食欲不振  他の癌闘病記で脅かされていたほど、吐き気はなし。これは、近年になっていい吐き気止めが出たからであるらしい。デカドロンとか二種ほど錠剤を飲んでいるとさほど気にならない。こまったのは、翌日から現れた口内炎。口の中が舌から内側から炎症を起こしていたくてしょうがない。入院前に歯科の検査を受けてくださいと言われ、歯茎とかかなり健康であることがわかっていたので、それ以上の心配はしないとですみましたが、歯ブラシが触れるだけで痛いので、毎日苦痛でございました。病院食は「食欲不振食」とでもいうフレンチトーストばかり食べておりました。

4日目。糖尿病(インスリン注射)の患者でもあるので、医師も注意しながら処方してくれているのですが、独特の副作用が出てきた。血糖値の異常な上昇です。通常の血糖値は110以下なのですが、私は140。しかも入院前調整に失敗してます。それが、2日目から、血糖値が300−500に上がりました。看護師と一緒にええええ?ちなみに入院中の糖尿ケアは全て看護師の見張りの元でやってます。仰天しましたが、これは 抗ガン剤の中にステロイドが入っていて、糖尿病にステロイドは悪化する要因だったことによるもの。大丈夫かいな?と思っていたら、その影響は、4日目にきました。

寝られない。
正確に言うと、4−5日で血糖値は劇的に下がりました。その急激な降下で、体がショックを受けて、不眠になってしまいました。
私はまたパニック障害もち、鬱もちなので、パキシルソラナックスデパスドグマチールレンドルミンを飲んでいたのですが、いずれも効かない。この日は完徹夜になりました。しんどい。

医師に相談して、あまりに寝られないので、翌日は 初めてハルシオンを飲みましたがそれでも2時間が限度。しかも、このハルシオンというやつ悪夢になりやすいということで、非常に濃い苦しい夢を見ました。おかげで昼間もぐったり。でも体が興奮しているママです。

後からわかったのですが、独り暮らしに慣れている私は相部屋が苦手で、相部屋ストレスにもなっておりました。

その翌日が退院。退院して自宅で寝たら、スッキリ寝られました。

副作用二週目。体の免疫がなくなる時期です。白血球も赤血球も減少します。ので、感染しやすい。何事も。貧血のクラクラ、そして発熱。自宅に医者から抗生剤を二種、吐き気止め、熱冷まし(カロナール)を3日分もらっていたので、発熱と頭痛が出てきた時に飲みまくり。この週はその頭痛と発熱と抗生剤での対処で明け暮れ。体力がなくなって、何事ものろのろと30分でバッテリーが切れます。マスクとか手洗いとかそれから毎回のうがいが欠かせなかった。

3週目。日に日に副作用がましになってくるのはわかるのですが、頭痛と食欲不振で4kg痩せました。あと、無気力と鬱が出てきて、何にもできません。テレビも本も何にもできない。何もできないことに焦って、ますます状態悪いです。

そして4週目には、二回目の抗ガン剤点滴。
何と言ってもまだゲーゲーやらない「軽い」症状なので、「通所点滴治療」になりました。これは通勤しながら点滴治療できるので、非常にありがたい。相部屋の中には離島から来ておられる方も多く、止むを得ず、一週間は入院というのもあったので、タクシー2メーターで自宅にも職場にも通える私は幸い。

そして二回目は、口内炎を防ぐために頬張る氷をいっぱい持って行きました。朝8時に病院に行き、採血、エコー診断、診察、そして点滴部屋に行くと昼になっていて、ベッドに寝たまま、1時間半の点滴を受けます。看護師さんの指示でエキセドリンの前に氷を頬張る。これが非常に効果があって、2クール目は口内炎がかなり減少しました。

そのあとは、抗ガン剤の副作用としては上記とほぼ同じ。一周めは全身倦怠。血糖値の急激上昇と、そのあとの下降で体にショックが来て寝られないとか頭が回らない。
2週めでは心療内科を紹介してもらい、10年以上飲んでいるソラナックスドグマチールをやめ、デパス一つに切り替える。という大技をやりましたので、最初のクールに加えて、頭がはっきりしないとか、ソラナックス離脱症状が出て、手がすぐにブルブル震えるとか悪寒がする、物を考えられないという精神症状が出ました。
あとは、やはり発熱と頭痛、抗生剤は一週間分、3週目になってじわじわと回復、というパターン。

通勤してはいましたが、ほとんど仕事にならず。まだ、チームワークの仕事でなかったのと、授業は夏休み中だったので、よかった。ただし、自分の研究はまるでできませんでした。頭が考える状態ではなかったので。


そして、今は3クールめに入ってます。やはり、同じような副作用の推移をたどっているのですが、だんだん鬱傾向が強くなり、今回は貧血も強くて、かなりまいりました。それから、口は口内炎ではないけれど、舌が炎症して味わからず、痛い。ついでに肛門も痛い。体の内臓粘膜が出ているところが全て痛いです。

精神的に嫌になる状況に耐えねばならず、イライラして何かやると、体力がないので、息切れして「やっぱり病人だわ」という自己嫌悪の繰り返しです。

この抗ガン剤は後1クールで終わり、また、入院して、今度は別のパーセプチンとかドタキセルという抗ガン剤に変わります。これもまた、いろいろ副作用がありそうで不安です。しかし、この薬と用法は本の4年前に保険で使える認可が下りたそうで、そのおかげで一回36000円の治療費で済んでます。手術とか全部やると65万円だそうで、なんとかこれなら払えるかなぁというところ。医療保険は共済組合のものと県民共済のものだけなのですが、持病持ちとしては癌保険とかには入れなかったし。

ま、なんとか3月末に完全復帰を目指して頑張ります。何と言っても早期だったのと転移がなかったので、希望があります。やれやれ。

三年目の災難

自分のブログの名前とアドレスを忘れておりました。
で、久し振りに書くことになったのは、乳ガンになったからです。
ステージがIIaでまだ転移はしていないようなので、抗がん剤からはじめますが、あと数日で専門病院に入院して、まず、胸に抗がん剤注入用のカテーテルを入れて、抗がん剤治療。副作用の様子など見ながら、一〇日ほどで退院して、後は通院で三週間に一度の抗がん剤点滴。それを暫くつづけて、一〇月末には抗がん剤と薬の種類を変えるために再び入院一週間予定。さらに毎週通院で抗がん剤点滴をつづけて、来年になってから、胸のガンの摘出手術です。とほほ。
 気がついたのは自分での触診でした。ガンと乳腺炎の区別は境目がはっきりしないかしているか、で、これは怪しいとおもい、主治医から紹介されてマンモグラフィ、エコーを受けたら、自分でみても、あ、がんだわ、とわかるような。というよりマンモグラフィーが痛い。ない乳房を寄せてつまんでおしつぶして撮影ですよ。涙でました。
 それからが、どこの病院がいいかと紹介され、一応全国でも三位にはいる評価のある病院が鹿児島市にあることがわかりそこに紹介されて、入院することになりました。
 ここまでくると、まな板の上の鯉なので、おまかせするしかないのですが、まずは、お尻まで届いていた長い髪を切り、抗がん剤の影響で「必ず、禿げます」と宣言されているので、保護用の医療帽子を買い、一応医療用カツラも買い、病院がくれたパンフレットを読んで、入院してる間はいいですが、退院したあと、勤務を病欠にするのか通勤できるのか、これが難しいところ。副作用は脱毛のほか、高熱、吐き気、全身倦怠など、このブログの七割生活以下ではないですかあ。五割生活になるのか。
 これで、入院手術は三年目(それぞれ理由はチガウ)なので、たまたま海外出張するような研究ははずしておりますので、そっちはいいですが、「仕事できない」
 面倒でございます。
 なお、したのブログのメジロちゃんたちは、桜が咲き出すとさっさと去ってしまい、さすが、野生の小鳥でございます。かわいがっていたのに薄情な奴らめ。
 というわけで、今度は手術だけでなく、なが〜〜〜い、おつきあいの病気持ち二種となりました。なんとか通勤できる程度だったらなんとかなると思うので、副作用が強くでないことをねがいますわ。

街メジロ

去年の12月、ベランダのパンジーあたりにメジロが姿を見せるので、空いた鉢にみかんを割ってだしてみた。
 即座に3羽のメジロがきて、完食。 
 この冬は暖冬とか言っていたがけっこう寒かったので、メジロたち冬のたべものがなかったらしく、かわいそうなので、毎日みかんを出す。うちはマンションの2階だが、一階には部屋がなくて駐車場とツツジの植え込みだけなのでふんの害はない。それにメジロのふんって実にささやかであった。その上ベランダのやや高いところに電線が張り巡らしてあって、メジロはそこに留まって見下ろしている。
 そのうちみかんを出す時期になると、メジロが集まるようになって、メジロの数も増えてきた。電線にならんでいるだけで6羽から8羽。どこから聞きつけてきたのか。メジロ同志で縄張り争いをして舞々しているので、蜜柑置き場を3カ所にした。みかんの消費の早いこと。
 みかんを出すとき「チュンチュンや〜〜〜♪」と呼んでいたら、一羽のチビメジロが賢くそれを覚え、「ちゅんちゅん!」と返事するようになったのでひいきにする。「ちゅんちゅんや?」「チィン・チィン」という具合である。ちゅんちゅんというスズメみたいな声は本来メジロの鳴き声にないから、まねしてくれるのである。かわいい。
 メジロはスズメより小さいトリだがそれにしてもこのチビメジロは小さい。最終的にカラダの大きなカップル、小さなカップル2組、シングルで小さいのが二羽を確認。ちびちゅんちゅんはシングルで小さいやつである。
 さらに1月観察していると、どうも大きいのは、このチビたちの親である可能性がでてきた。大きいメジロはチビがいると一生懸命追い払おうとする。なぜなのかとおもったら、チビメジロが羽根を震わせて「ご飯ちょうだい」ボーズをするのだ。親メジロとしては「この子!何時まで親ばなれしないのっ!」というところだろうか。必死で追い払っていた。
 2月、とうとうこの場所がヒヨドリにみつかり、あのトリのヤンキーみたいなヒヨがメジロを追っ払ってみかんを独り占めする。で、「ひよちゃんっ!」とどなると、きぃ〜〜〜〜と逃げていくという構図ができ、ヒヨが私を認識するようになった。もちろんヒヨのいないすきを狙って、メジロはくる。
 メジロだけではない。なんだか怪しいトリ、ヒヨよりは小さいがスズメよりでかいがくるので見張っているとツグミの仲間の渡り鳥シロハラだとわかった。つがいなのか2羽いる。『トリパン』のまんがのつぐみよろしく、地べた暮らしが好きで、くずになった蜜柑に身がついているのをおいておくとくずみかん専門でたべている。しらべて、バードケーキという牛脂、小麦粉、砂糖、小鳥の餌を混ぜただんごをつくってみると、シロハラさんはそれが気にいって、団子をがつがつ食う。メジロもつついているが、ともかくシロハラさんががつがつとたべる。不思議なことにヒヨはまるで興味なし。
 ということで、2月にはメジロ8羽、ヒヨ3羽、シロハラ2羽、それにウグイス1羽というのがフルメンバーとなった。
暖かくなったらみかんだしをやめる気なのだが、あるとき、夕方にきたウグイスがみかんの鉢の上で、うたた寝をしそのまま寝てしまったので、そーっとカーテンを引いたことがあった。考えればこのベランダは午後には暖かくなるし、雨も風も来ないし、静か、猫も来ないので、トリの中にはそのままねているらしく、それまでも夜になぜ、メジロのちるちるいう声がするのかとおもっていた。メジロ民宿と称することにした。
 2月末、一週間ほどシンガポールへ出張した。その間自然にまかせてこの機会にえさだしやめようかと思っていたが、母が毎日みかんを出してくれていたらしい。母の觥合の悪い日はパス。
 それで、シンガポールからかえってみると、「ゆうべ蜜柑なかった。餌ちょうだい、餌ちょうだい」とメジロ6羽が電線に留まって大騒ぎで鳴いており、ご近所にはずかし・・・。こっちがメジロの下僕と化している。
 それでも3月になってメジロがおやまにかえるまで〜〜〜とおもっていたら、このメジロども、山から来ているのではなくて、裏の別のビルのベランダにおいたけっこう大きな鉢植え複数が放置されて育っているそれなりの大きさの「森」というか「茂み」に普段いることが判明した。考えるに、親のメジロからそんなに遠くないところでここに集合するのがおかしい。たぶん、その茂みに親が巣をかけて、そこで育った子メジロが4羽くらいは居るのである。
 山のメジロではなくて街メジロなのだ。ということは、このまま居座ってしまう可能性も大。奴らにとっては、お家の茂みから一飛びでうちのベランダにくるわけでうちのベランダは「メジロのコンビニ」と化している。しかも、だんだん態度がでかくなって、こっちがガーデニングのためにバラの芽やハーブの様子をみていると、後ろで「ちゅりちゅりちーちー、ついーん」と鳴く声がして、わたしが邪魔しないようにそそくさと引っ込むという状態。ほぼメジロにベランダを占拠されている。
 また、シングルのヒヨドリが一羽、雨になるとうちのベランダでぼーーとする、という癖がついてしまい、お腹が減るとめの前のパンジーを花ごとたべてしまうので、こっちもこら〜〜〜!である。
 さて、そろそろみかんの季節も終わりで、あと3回分しかみかんがないので、そろそろ蜜柑だしをやめるべきか決断しないといけない。

2015年近況。

書き込みの主役をFBにうつしてしまったので、ここはながらく放置したままだった。
ともかく2014年は骨折にはじまり骨折リハビリにくれた一年で、ロクに仕事の成果が上げられなかった。職場まで歩いていたのを、車通勤申請して車で通い、週二回、一回のリハビリに通う。あとは頭のほうもそろそろとリハビリ。
 海外学会で発表しようとしていた英文原稿を結局は完全に書き直し、英文校閲をいれて、某研究所の報告書に。それもまた時間がかかり、6月に提出してるのに2015年3月中に発行ということでいつまでかかってんねん。
 頭というかやる気をどうにかしようとして、いろいろ面白げな本を買うもなかなかついて行けず、よく寝ないとアウトなのはあいかわらず。それでも、普通の仕事に支障がでることはなくなってきた。
 これは、骨折というより胆嚢摘出の効果で、それまでの不審な体調不良がぐっと減ったからである。胆嚢というより胆嚢摘出のときにわかった、肝臓などほかの臓器への癒着が原因だったらしいわ。内視鏡で摘出できてよかった。
 4月からまた忙しくなるが、またそれはそれでなんとかなっていくのではないかな。というところ。

やっと8月

4月もほぼ末に退院し、仕事復帰。松葉杖で通勤してリハビリに通い、松葉杖から今度はおばさん杖になって、結局そのまま前期の授業を終えました。週に二回リハビリにいっております。歳なのかこれで普通なのか、持病のせいなのかわかりませんが、疲れやすいのもなんとか乗り越え、先週授業はなんとか終了。採点が待っております。で、かんがえてみたら、胆石手術したのが去年の8月12日ぐらいで、オナカの手術でやっと1年じゃないですか。足のほうはまだリハビリが必要なので、さらに来年までは続きそうです。
 4月末に学会発表でオーストラリアへいこうとしたのは松葉杖ではどうにも無理なので、キャンセルいたしました。代わりにそのとき書いていた原稿を書き直して、いま英文報告書にだしていますので、なんとか研究は続けられたということです。そのあともいろいろと計画はありますが、「歳」といわれたこともあり、それ相応にやっていこうとおもっております。

退院、4月16日

骨折して二度目に骨折し、手術二回して一度目の手術からの10日をムダにしてしまった入院騒動から二ヶ月。やっと退院しました。職場の病欠日数制限があるのと授業が始まってしまったので、とりあえず、両方松葉杖姿ででてきました。正確にいえば、まだ骨はついておりません。ピンでとめてあるだけでまだほぼ毎日リハビリに通ってます。
 リハビリが必要なのは、折れた骨のためというより、動かさないで、入院安静にして、車いす生活している間に筋肉がごっそり落ちてしまい、足が弱ってしまったからです。びっくりするほどふくらはぎからふとももから細くなりました。同時に入院安静していると他の部分、肩なども痩せます。長期入院てのはほんとにくせ者です。
 よくニュースで交通事故とかスポーツ選手が「重傷(骨折)全治8週間」といいますが、骨折するとだいたいそのくらいかかるということを理解しました。