七割生活,とほほ

ちょっとニッチな分野の文系研究者による日々の感想とか,いろいろ

移動距離感覚について

母を鹿児島に引っ越させて後、ときどき京都の母の友達から電話がかかってくる。
その中でいつも言われるのが「鹿児島みたいに遠いところにいっちゃって」という奴で、まるで、地の果てのど田舎に逼塞しているかのようなことをいう。
失礼である。まあ、生粋の京都人からみればそういうふうに見えるのかも知れないが。
 鹿児島に来たのは鹿児島大学に職を得たからで、大学に職を求める若手ってのは、もともとポストが少ないし、いつ空くのか分からないから、公募があれば、どんな「地の果て」であろうと応募するものである。そのせいで長く別居結婚状態な方も大勢いるがそれは当たり前。
 それから、鹿児島でもわたしが住んでいるのは鹿児島市の真ん中の市街地なので、住んでみたら丁度適当な大きさの都市だった。つまり、五五万都市。京都だと一二〇万都市なので、観光客も多いし、慢性的に人が多くて「住む」となるとなかなかである。人が多すぎて息苦しい。同じ理由で東京二三区内にも住みたくない。二〇年以前、つまりインターネットがない時代だと、大きな本屋もなくて情報が入ってこないから鹿児島市も東京出身者にとっては不便だったようである。幸い、私が引っ越してからすぐ大学でインターネットが使えるようになり、紀伊國屋とかジュンク堂とかの大手の本屋が入ってきて本やCDに不自由しなくなり(ここ大学教員には重要)、その上アマゾン等で通販が簡単にできるようになったので、今はメチャクチャ快適である。この二年ほどは京都の錦市場へ通販でおせちを注文したり、和歌山みかんを生産地に注文したりしてる。
 母の友達は高齢者なので、そういう状況がわからないだろうと思う。彼女たちはまた「航空機」をすごく怖がる。
鹿児島にいるとわたしの場合、出張といえば、大阪・京都か東京である。近年は東京外大の研究所が多いので、東京の府中までがなんども出張先になる。さすがに東京までは航空機を使うが、九州新幹線が出来るまでは大阪の伊丹空港経由で関西出張もしていた。
 北海道の人も同じことをいっていたが、航空機の方が安全である。事故率ということをかんがえると長距離バスよりのほうが事故が多い。それに事故で落ちたらもう自分の責任でもなんでもなくて死ぬだろうから、ある意味覚悟は出来ているし、そこまで覚悟しなくても別に大したことではない。アブナイならそもそも飛ばないからだ。
 下に書いたように時には大阪までカーフェリーで自分の車を運転して通っていた時期も数年あったが、この頃は東京は航空機で新宿泊まり、大阪・京都は新幹線で京都四条付近泊まり、と決めている。
 マレーシアの調査地はタイとの国境の州で、マレーシアこそ自家用車の車社会なので、いつも空港でレンタカーを借りて走り倒す。ペナンという大きな都市と農村部をいききしてるわけだが、こうやって走り回っていると、人間の移動感覚、というか、「その土地への執着度」がかなり日本では強く、よその国ではそれほどでもない、ということもわかる。
 だって、みな、先祖といえば、農民も移動して国境を越えてきているのだ。また状況が悪くなったら、移動する人もいるだろう。
 日本という島国で、江戸時代から土地を基本にした税が発達して領民というより土地を抱え込むシステムだと、住んでいるものもそんなに移動しないのが当たり前で、「ふるさと」というのに執着する気分もあるだろう。
 でもそれは「世界の常識ではない」のだよ。ほほほ。