七割生活,とほほ

ちょっとニッチな分野の文系研究者による日々の感想とか,いろいろ

かさおばけになった日

骨折は一週間様子をみたあと、骨がぜんぜんついておらず、20度ほど「開いて」いるので、とうとう手術・入院ということになった。
 去年8月の胆嚢摘出手術入院についで二度目になった。
それで,いろいろ仕事に支障がでてくるので、事務やら病院とやりくりをして、入院は明後日。手術は来週の水曜日と言うことに。そのまま、三ヶ月ほどの入院だそうで・・・。整形外科病院は普段から肩のリハビリに通っているところなので信頼はしているのだが、なじみの理学療法士さんからは「あるいて退院させますっ!」と宣言されている。しかし、予定ではその後も通院リハビリをしないといけないので、結局、仕事のほうは3月31日まで60日ほどの病気休暇ということになった。なんとか給料には響かない範囲。こういうのにそなえて預金しておかないといけないのだがなあ。
 それで、今日はなんとしても、一度は出勤しておかないといけない日だった。「槍がふっても出勤します!」と宣言していたが、朝からざーざーの雨であった。松葉杖両脇では傘を持てないので、デイパックを背負って背中の隙間に透明傘を開いて差して、ぼっこんぼっこん跳ねて歩く。まるで傘のお化けかカッパのお化けである。あまりに格好が派手なので、いく先々でドアをあけてもらったりして助かった。人の親切が身にしみる。
 タクシーでまず大学に行き、ゲートを開けてもらって、入れるだけ入れるところまでタクシーに送ってもらう。幸い車止めがない場所のひろいスロープになっている所があり(自転車が通れる)なるべく棟に寄せてドアを開けてもらった。たまたま試験にきていた男子学生が「大丈夫でしか?」と傘をさしてくれて、ありがとう。そのままなんとか松葉杖で研究室までエレベータであがった。
 研究室の向こうに事務室があって、今日一日借りる予定の車いすがおいてあった。事務の方があわててもってきてくれた。しかし、この車いす本当に緊急用だけのもので自走するための手すりがない。しょうが無いので、自分でゴムタイヤをつかんで、あとなんどかトイレに往復した。
 手書きしないといけない事務仕事など大量にあるのをつぎつぎと片付け、労災申請をし、帰りの時間(事務の方の退勤時間とゲートの門衛さんの退勤時間が5時)までに仕事にかかる。4月20日からオーストラリアの学会で発表する予定だが、医師が4月20日にはでられるようにします、と行ってくれたのでキャンセルはぎりぎりまで伸ばして、まずはその英文のペーパーを書きにかかる。昨日のうちに日本文ガイドラインのほうはできあがっているので、今日はとつとつと英文作業である。苦手なので非常に恥ずかしいがしょうがない。
 昼の食事も事務の方にたのんでパンをかってきてもらった。なにもままならない。
四時半前に、時間がどうしても気になって、退勤する旨を事務員さんに伝える。彼女が車いすにのった私を押して、一階までおりる。よんだタクシーがやってくる。それに乗ってかえる。みなさま、ご迷惑をおかけしてすみません。
 骨折した足の先のほうは、内出血の血が下がってきて、黒くなってきており、固定してある以上は痛みは少なくなっているが、これって固まってしまって、リハビリの時にぎゃあぎゃあわめく羽目になるかもしれない。
 本当に今年度、去年の4月から今年の3月末までは、なんという年だったろう。失敗も多く、災いも多し。ただし、いずれもその後好転してきていると信じたい。自分の不注意にいろいろと腹がたち、情けない年度であった。