七割生活,とほほ

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1979年のアルバム「KYLYN」(1979)について、オンタイムでLPを買っていた私からの感想

2019年3月号の「ミュージックマガジン」の特集はなんと、AOR・ヨットロック・ベスト100ですって!ヨットロックってのはしりませんが、この雑誌を1978年くらいからずっと定期購読してる私は仰天。一番AORをけなしていた雑誌ではありませんか。いまから評価がかわったって?当時の中村とうよう氏は「身体的グルーブのある音楽」が好きで「商業音楽」がキライなひとだったので、70年代のジャズ、80年代のアメリカロックはくそみそにいわれてました。

 わたしは当時阿木譲の「ロックマガジン」とソウル・ジャズ誌の「アドリブ」を両方読んでいたのですが、輸入盤を探すときは、ロックマガジンの推薦を重視し、その次にミュージックマガジン(ニューミュージックマガジン)を参考にしてました。で、京都市の怪しいビルの二階にある輸入盤屋でレコードをシュッシュッと繰り上げては、主にジャケ買いしてたのです。ジャズ/AOR系はまあどれも同じようなものでしたが、ニューウェーブオルタナティブの英国物(わたしはほとんど今に至るまで英国ロックひいきです)はジャケ買いのセンスで音楽の内容が当たりました。

 で、KYLYNですが、ネットで見ると、近年になってこの1979年の渡辺香津美名義のアルバムをきいた人が多くて、なんだか稚拙な評価がされているようなので、厚かましくもオンタイムで、70年代のジャズ・フュージョンから80年代以降のニューウェーブをしつこくきいていた立場から振り返ってみます。

 当時まるで日本の歌謡曲に興味がなかった私はビートルズフリークでもなく、ただピアノを習っていたこともあって、曲は歌のないキーボードで選ぶ傾向がありました。なので、最初は深町純にはまり、その後、坂本龍一にはまりました。なので、渡辺香津美はどうでもいいですw

 というより、当時はLPが主流でしたがその録音技術が上がって、何より録音技術の良いギタリスト名盤シリーズというようなものが出てました。

 音楽の傾向としては確かに70年代のジャズ・フュージョンアメリカでもどこでも同じようなもので閉塞気味。なので、発想は陳腐化し、もっぱらスタジオミュージシャンをやっていた超絶技巧演奏者を賞賛するようなアルバムが多かった。ロックも同様でプログレも大仰になってきて飽きてきた。

 キーボードでもフェンダーローズの時代ですから本格的なアナログシンセでアープオデュッセイを使いこなせる人ってのはまず、お値段環境的に入手できる人が限られ、そんなに居なかったとおもいます。その直前に冨田勲の「惑星」がブームになってましたからね。いわゆるムーグなどの「タンス型シンセ」です。

 パソコンのスペック争いみたいなもので、ドラムならスティーブ・ガッドの正確無比な技巧に皆が憧れ、ギタリストには技巧的なスターが必要でした。で、高中正義とか渡辺香津美(若かったし)の記事ばっかり出てました。

 その中で、わたしはLPの裏に書いてあるキーボーディストでLPを選んでいたわけです。深町純の名前は最初は小椋佳・安田裕美・星勝の「フライングキティバンド」の

という企画物「5・4・3・2・1」(1977)というアルバムのシンセ担当で目にしました。アープオデュッセイの音でした。それから注意して探すようになりました。坂本龍一の名前はたしか細野晴臣鈴木茂山下達郎の企画版の「Pacific(1978)で見たように思います。

 当時はフュージョンという分類がレコード屋になかったので、ジャズの中から漁っていたのですが、ちょうど深町純が「オンザムーブ」(1978)をブレッカー兄弟とNY録音していたのを入手して、そのとき、「KYLYN」や「サマーナーブス」(1979)がでるというのを知ったので、予約して入手しました。なにしろ当時はマイナーだったので入手できるかわからなかったですからね。

 でここからいよいよ「KYLYN」ですが、メンバーの豪華さにのけぞりました。なにしろ、このメンバーでその当時の歌謡曲なんかのバックバンドというかスタジオミュージシャンに関わっていた、サディステックスの高橋幸宏の乾いたスネアドラムが好きで、渡辺香津実はあまり好きではなかったのですが、プロデューサーが坂本龍一なのでこれは!とおもって買ったのです。

 で、内容ですが、そういう技巧のみが賞賛される中で、技巧についてだれも文句がいいようがない。

 参加者は、wikipediaから転載すると

で、ともかく全員がいままでの音楽に不満があり、それぞれ同時または後で自分のソロで新しいタイプのアルバムをだしてました。

 当時のジャズ・フュージョンの御大といえばまだ渡辺貞夫でしたから、20代後半のKYLYNのメンバーの鼻息も荒かった。なので、このグループのは後ででたLIVEのLPを高く評価する人もいます。LIVE版がそもそも好きではないわたしはそんなに評価しませんが。

 ともかく、当時の評論家がギターの技術的技巧を褒める中で、「ああ、これは確かにクロスオーバー(とも言った)だわなあ」と思ったのは坂本龍一の作曲するE-Day・プロジェクトです。当時のpopでもなく、ロックでもなく、ジャズでもない。アイル・ビー・ゼアもそうです。なるほど。

 しかし、こいつめ!とおもったのはタイトルのKYLYNです。この手のジャズスタイルでは大抵、演奏にギタリストとかそれぞれのパーツのアドリブ時間が入りますが、まあ、渡辺香津美は上手いけど普通。しかし、このKYNYNは作曲が坂本龍一で主メロディーはポップにしてありますが、自分のシンセパートで、とんでもないアドリブをやらかしました。無段階音階にノイズはいりまくり。これが彼の本質だったのですね。

 同時期にでた「千のナイフ」や「YMO」でもそうですが、当時としては音色とは考えられないようなシンセしか出せないノイズを、アドリブ部分に入れてますので、これを聞いた人の中には「浮いている」と思った人がいるのも納得です。

 同じ時期にニューウェーブのフライングリザーズ(段ボールを叩いてmoneyを演奏する現代音楽家)なども聞いてましたから、この坂本龍一ってどんな人かとおもえば、深町純の後輩じゃないですか。東京芸大の作曲科。音楽を作る環境は完璧に保証されてます。彼が、深町純とちがって大学院まで行ったのはそれが使えるからだろうと思いました。逆にいえば、FMの「現代音楽の時間」なんかで武満徹一柳慧、林光なんかもきいてましたから、同時に現代音楽家たちが「お仕事として」NHKの「シルクロード」のテーマを作ったり、大河ドラマの曲を担当したり、つまり大衆向き音楽を「バイト」といっては失礼ですが、そういうスタンスで作っていたのも知っていたのです。深町純も「新坊ちゃん」等でテーマを作ってます。

 なので。坂本龍一については「こいつ才能の無駄遣いしてるな」とか「あるいは余裕こいてKYNYNをやってるな」と思いました。努力してプロのギタリストやバンド経験から技巧を磨いてきた(高橋幸宏)たちと違い、また天才(矢野顕子)でもなく、ちゃんと音楽教育を受けてきたので、それ故の硬さもあるのですが、余裕です。27才の坂本龍一は。

 失礼なやっちゃな、と思っていたら、バイトでスタジオミュージシャンをやり、「アメリカンフィーリング」の編曲で80年に日本レコード大賞編曲賞を取りました。前の年の賞は星勝(井上揚水の二色の独楽)、翌年の81年は井上鑑ルビーの指輪)です。

 で、坂本龍一はKYNYNとYMOを同時並行してやっていて、YMOの基本構想は細野晴臣だったので、ぶれることなく、Popでロマンチックなところは高橋幸宏がやって(二人の調整役でもある)、坂本龍一は、ノイズだらけの千のナイフYMOの持ちネタに入れ、世界ツアーでは渡辺香津美を連れて行って、技巧巧者の好きなアメリカ人を仰天させたわけです。

 KYLYNとYMOの登場で、「技巧が上手いだけでは結果皆同じになるしかない」「音楽は既成概念の破壊」という流れができてしまい、それから以降、英国からニューウェーブ(技巧はないが創造力は豊か)がどんどんでてきたので、一挙に日本のフュージョン技巧礼賛はしぼんでしまった(すくなくとも帯にそれを書いても売り文句ではない)と思います。

 その意味でKYNYNは果たして渡辺香津美にとって良かったのかどうかわかりません。ちょっと気の毒な気がします。坂本龍一の踏み台になっちゃったという点も感じて。