七割生活,とほほ

ちょっとニッチな分野の文系研究者による日々の感想とか,いろいろ

大学院浪人中のけだるい夏の日。

 上八外大を思い出したら、外大卒業後のある日のことを思い出しました。
同級生はほとんどが職に就き忙しくて会う機会もなし。私は京大文学部東洋史の聴講生となり、いやいや漢籍読みしてました。
 とある、夏の日。同級生で卒業後岡山大学農学部に再入学して青年協力隊員になることを目指していたI君からいきなり電話があり、「外大の跡地(まだ閉鎖されたまま)にいってみぃへんか? オレ夏休みで帰ってきたけどひまなんだ(東京人です)」というので、彼がお邪魔してるやはり大学院受験浪人中のモンゴル語の先輩♂とその彼女と4人で「移転しちゃったけど、やっぱり俺らの原点は上八やなあ」と外大跡にいくことにしました。あっつい8月です。
 メンバーそろってみると男子は短パンとTシャツにビーチサンダル、センパイは「ナントカ米穀店」というネームのはいったずだ袋背負ってます。女子も同じでじーんず、Tシャツ、サンダルというダブルデートにしても色気のない4人でまず、汗だらだらかきながら,南海飯店にいってご飯たべました。テーブルも古くて丸テーブルの回る部分がごとんごとんとナナメに動きます・・・。それからMJBというときにゴキブリも出る安いコーヒー屋で冷コをのみ、べたべた歩いて外大へ。
 まだ、跡地がなにになるかきまっておらず、古い校舎のまま。人がいなくなったので、まわりに背高アワダチソウが伸びていました。入ってみようとしたのですが、ゅなんとセコムの赤外線の防犯装置が付いているではありませんか。
 アワダチソウを一本折り取って、その装置の前で赤外線を遮って何度か振ってみて、耳を澄まして、誰か来るかとびくびくしたあげく、より南の四天王寺方面へ逃げました。あほや。まるでいしいひさいちの漫画や。
 それからカンカン照りの四天王寺で泥だらけのコンクリート池に亀がうじゃうじゃいるのを意味無くながめ、ホコリだらけの漢方薬屋のショーウインドに、オットセイのナニやら、朝鮮人参やら、怪しい皮の干物があるのを冷やかしてたら、彼女が「バイトの時間や」といって去って行ったので(ほんとに彼女か?)残った三人はすることがなくなり、今度はだらだらと地下鉄と阪急をのりついでセンパイの住んでいる関西大学前駅の近所のアパートに行き、「なんか料理して喰いたい」ということで、スーパーにいってお酒とサンマを買ってきて3人で焼いて食べました。まだ日のある時間でした。
 めちゃくちゃにヒマでやるせない雰囲気でしたが、なんだか今でも懐かしく外大とセットで思い出します。その後I君はせっかくタイ語と農学を修めたのに,当時25才までしか海外青年協力隊に応募資格がなかったので、外資系のバイオの会社に入りました。元気でいるかな?