七割生活,とほほ

ちょっとニッチな分野の文系研究者による日々の感想とか,いろいろ

ダイアリーからはてなブログ(一般公開)へ移行と 乳がん治療のその後などなど「七割生活」

はてなダイアリーが移行するというので,わずかなことしか書いていないが,一般公開用としてやはり残すことにして移行作業をした。

 日々ネットにアクセスしているが,大抵はFBかツイッターなので,あまりここにはかかないかもしれない。文才もない。が,まあ,書くことも出てくるだろうし,あくまで一般に公開できる内容であることを限定にかきます。

 

はてなダイアリーでの最後の記事は2017年3月のもので,2015年に発覚して治療した乳がん治療の経過です。

治療は2017年3月に終わりましたが,その後も3ヶ月に一回の定期検診などを続けています。

 わたしの場合は,ステージII−aだったので,部分切除となり,前回の記事の後はホルモン剤治療(タモキシフェン)を毎日一錠のみ,検診するだけ。今のところ予後良好。前回まで,CEA腫瘍マーカー)の数値がでてましたが,今年1月の数値はなし。なので,あとは定期検診を続けながら,あと3年異常がでないように祈るだけです。

 異常といえば,抗がん剤治療薬のドセタキセルというのを2度使ったときに,ひどい味覚異常と手足のしびれがでて,即座にそれの使用停止になりましたが,後遺症は2年たった今でもまだ残っています。微々たる回復でやっと舌の味覚異常はなおってきてますが,ビリビリとしたしびれは足指と手指と舌に残っていて,辛いものがたべられません。いたいもん。でも,それですんでよかったかも。

 この乳がんの治療の他に,わたしは糖尿病とパニック障害の治療も受けていて,そっちのほうが実は大変です。金額的に。

 あんまり考えなかったので医療保険にはいっていなかったので,相当のお金が出ていきました。標準的な治療ですが。いまも,糖尿病とパニック障害の治療で,月21000円は3割負担で出て行きます。

 ちょうど確定申告をしたところですが,医療費計算で43万円ほどになりました。なので還付申告をしました。

 65才まで働ける職場でよかったと思います。

 この2年の間に職場の環境も変わりました。学内の別組織に移ったのです。ちょうど乳がん治療で入院していた時期に,大学の改組があって,属していた文学部系のところから2名,別組織,事実上の教養部復活なのですが,そこへだれが移るかということで,定年の近い順からというので私と同僚が移りました。

 もともと,教養部に就任していたので,実はいままでいた学部の所属先では本来の専門ではないことをやらねばならず,集団行動の苦手な私にはかなりストレスになっていたのです。

 で,移動して(研究室はそのまま)で初歩的なことを教える授業に復帰しましたが,そのほうが実は,療養後にはよかったようです。

 大学でも自分のゼミや自分の学生たちとわいわいやるのが好きな教授もいますが,わたしはそうではないし,自分の研究は別の大学での科研チームであと4年は2つほどやっていきますので,むしろ専門を教えるのは大学院だけになりかなりストレスが減りました。

 わがままですが,自分で決めたというより流れでそういうことになったし,病気の時期に本来ならいろいろと役職がつく年齢だったのですが,病気でそれを辞退できてその後も「療養しつつ」なので,わたしはそれで十分です。