七割生活,とほほ

ちょっとニッチな分野の文系研究者による日々の感想とか,いろいろ

乳がん治療の記録。やっと治療が終わりました。

2015年 5月半ば過ぎ。左乳房外側に触診で異常を感じ、主治医に相談。鹿児島には乳がんでは全国的に有名な相良病院があり、すぐにそこへいけ、と主治医に言われる。
5月25日 相良ブレストセンターで 検査。
6月01日 CT検査で南風病院へ。
6月02日 MRI検査。
6月06日 心臓検査。有馬真一クリニック。
6月15日 相良病院で今後の治療方針の相談。 レベルはステージIIa。転移なし。浸潤がん。
 6月はまだ、3月から始まった、頻繁な東京出張を繰り返しつつやってる。糖尿病の数値も良くない。
7月08日 相良病院で治療そうだん。 入院前に、歯科へ行くことになる。抗がん剤で歯茎に悪影響がでるかもしれないため,
7月10日 とやま歯科。幸い歯科には何十年と行ったことがない。電動歯ブラシと水はみがきで歯茎健康なり。あと父の遺伝で歯が丈夫なのに感謝。
 この日、パスポートを更新しないといけないので、そそくさと写真をとっている。
7月21日 とやま歯科で歯石もとってもらう。抗がん剤で毛が抜けるので、長い髪を切る。パスポート受け取った。
8月04日 相良病院。抗がん剤点滴治療のために10日間入院。FEC療法、赤い点滴。副作用がきつい。口内炎で口の中が痛くてたまらない。めまいがする、点滴後三日ほどして熱がでる。体が興奮して寝られず、完全徹夜になる。デパスハルシオンも効かない。というかハルシオンは濃い夢、古い夢、悪夢を見る。
 並行して、パニック障害薬のパキシルソラナックスドグマチール抗がん剤治療に合わないというので、心療内科を紹介してもらい、サインバルタデパスにかえる。10年以上になるパキシルソラナックスからの離脱がかなりつらい。ものが考えられない。本が読めない。体は安静にしておき、なんとか必死でフーコーについての解説書を読む。きつかったが面白い。
仕事はよろよろ。辛くて授業ができない。
8月18日 髪の毛は抗がん剤4日目に抜け出したので、風呂場で自分で抜いてしまう。それでこの日、医療用カツラを買う。実際にはほとんど使わず、医療用帽子と金髪のファッションウィッグですませた。
8月31日 抗がん剤2回目。
9月29日 抗がん剤3回目。
10月20日 抗がん剤4回目
11月16日 抗がん剤5回目。
11月19日 抗がん剤の種類がかわるために相良病院に入院6日2−1回目
11月27日 抗がん剤2−2回目
12月5日 心臓への影響の検査。有馬真一クリニック。
12月14日と15日 相良病院で検査続く。
12日18日 南風病院で手術前の検査
12月28日 相良病院で手術を用意し、直前でキャンセルとなる。理由は高血糖。まずは糖尿病の血糖値をさげないといけない。
2016年
1月04日 今村病院に二週間の糖尿病治療、教育入院をする。ほんとうに出席しないといけないセミナーがあり、わたしはむくれる。21日まで入院。
1月22日 手術前の体制整ったので、また有馬真一クリニックで心臓検査。心療内科
1月27日 相良病院で、乳がんの温存手術。
2月8日 相良を退院。
2月23日 術後の説明をききに相良病院へ。手術前の術前抗がん剤療法が効いており、がんの部分はほとんどぺちゃんこになっていた。そして手術でとりだしてみたら、病理検査でがん細胞が見つからず。主治医はにこにこ。その後の方針を決める。
   面倒くさいことに、この年は免許まで更新。南風病院に行ったときに一旦停止をしなかったところを白バイに捕まって1点減点されたので、ゴールドからブルーに格下げ。金髪のカツラをかぶって免許試験場にいって写真を撮る。
3月15日 抗がん剤3番目のためにまた相良病院に入院一週間。ドセタキセル
 この頃ものは考えられないが退屈なので、入院の個室で編み物をしている。やり過ぎて親指が腱鞘炎。
22日の相良退院の同日、増田整形外科で親指の手術もしている。
4月10日 ドセタキセル2回目 副作用がひどい。しびれと味覚異常。
4月27日 ドセタキセル3回目。副作用がひどいことを訴えると、たまたま相良院長にあたったため、そんな症状がでるのならやめましょう!とドセタキセルから解放される。すでに、分子標的薬のハーセプチンの投与は4回目。
5月17日 相良病院、ハーセプチン5回目。ドセタキセルの副作用のための薬、マグネシウムの不足、貧血の薬などで3週間に一度60000円ほど払うのがとても家計に痛い。
6月07日 相良病院、ハーセプチン6回目
6月09日 放射線治療をするための検査 相良のクリニック
6月13日 相良パース通りクリニックで、毎日の放射線治療始まる。乳房にマジックで線を書かれ、そのうえからフィルムを貼る。毎日朝8時にしてもらい、10分ですむのだが、これを土日のぞいて毎日。自宅からタクシー2メーターで助かった。離島や大隅半島からの患者さんは通えないので、入院する。
 放射線治療の休みの土日に高谷先生を偲ぶ会が京都であり、母もともなってくに荘にとまってしばしリフレッシュ。かえったら翌日から放射線治療
7月15日 放射線治療終了。
7月19日 相良病院、ハーセプチン8回目
8月09日 相良病院、ハーセプチン
 22日に猫のふうちゃんを拾う。そしてそれをおがた動物病院にあずけて、コタキナバルへ10日の出張なり。9月2日にふうちゃんを受け取って、今度は里親捜し。
9月06日 相良病院、ハーセプチン
9月27日 相良病院、ハーセプチン
 里親さんがみつかり、ふうちゃんを10月02日に引き取ってもらう。
10月24日 相良病院、ハーセプチン
 仕事の出張が二週連続つづき、お疲れ。
11月21日 相良病院、ハーセプチン
 11月26日歩くことができないほどの腹痛で救急車を呼ぶ。近くの徳州会病院で鎮痛剤点滴。原因は不明、
12月12日 相良病院、ハーセプチン
2017年
1月04日 相良病院、ハーセプチン15回目頑張れ、18回でおわりだ。しびれ、味覚異常はあいかわらず。
1月25日 相良病院、ハーセプチン16回目
 このとき京都の家と土地の売却話が急に進んで、書類をあつめ母をつれて、手続きに行っている。家の庭が気に入って、リフォームしてすむというありがたい人にわたった。
2月15日 相良病院、ハーセプチン17回目 採血とマンモグラフィーの検査。
3月8日 相良病院、ハーセプチン18回目で終了。あとは5月に検査まで、ホルモン剤(女性ホルモンを押さえる)を飲み続ける。これはまた関節が強ばるのでつらい。
 といまここである。
 仕事はよろよろながらなんとか続けて、指導していた修士の中国人留学生はペナン華人をフィールドワークした詳細な論文を書いて、卒業していった。
 ところが、この間に、大学の学部改組があり、予算が減らされているので、教育センターに数名教員が移籍する。定年の近いものからということで、K教授と私とN准教授が割愛となる。行った先は、要するに教養部なので、毎年行く年生の全学部の子がくる。もう卒論指導はない。大学院のみ。ありがたい。

 というわけでわたしの乳がんは「ふつうのがん」と言われたもので、転移もなかったので、とりあえず、定期検診と薬を飲みながらすごすことに。5年後の生存率は85%である。そしてそのころ私は定年になるので、まあ、自分ではどっちでもいいや。後はまだ元気ではありますが、年でそろそろ弱ってきた母86才のことをかんがえていかないといけない。どうなるか未知の世界。幸いにして鹿児島市街地にすんでいると医食住銀行ほぼ1分〜5分以内なので、この年になれば、そんなに繁華街で遊びたいわけではなく、家には積ん読の山ができており、研究もすることがあるので、問題なし。
 問題と言えば、糖尿病患者であることに変わりなく、このごろは数値が高いので、次に糖尿病性白内障手術を予定しているので、血糖値をさげないといけないのです。
それから、またガーデニング熱がでてきて、今度はコーデックスとかリトープスとかの水をやらないでいい植物をちまちまとあつめだしました。コーデックス盆栽をつくるんだい。

ほったらかして二ヶ月

書き込みの主をFBに移してしまったので、二ヶ月以上ほったらかしになりました。
元気です。生きてます。
まだ、分子標的薬の点滴はしてますが。まあ、転移はないので、大丈夫でしょう。
困っているのは、この治療費がだらだらとつづく状態で、実際は点滴役と飲み薬で、一回60000円ほどでていきました。ということで、とても貧乏になりました。さほどない貯金をくずし、給料がマイナス傾向(ローン抱えてるから)あっぷあっぷ状態でございます。
去年から今までの間に、
編み物にとち狂ったり、
ネコを拾って、里親さがししたりです。大人のねこが飢えて行き倒れ寸寸前だったのをポケモンGOをやっていて見つけるというあほぅでした。
ネコの養育費や治療代も10万円くらいかかってます。まあ、でも、生き物を救うのは良いことじゃ。
また、ガーデニングにもどって、目白がくるのを楽しみにしますわ。

術後の経過。

乳がん手術をし、
その後、抗がん剤ドセタキセルを2回し、副作用が強かったので、後は中止になった。味覚異常と手足のしびれが残った。
手術では乳房温存手術だったので、再発防止のために
放射線治療がはじまり、毎日10分ほどの治療を週5回、5週連続の25回。しめて一ヶ月強を毎日病院に通った。
私は病院までの時間がタクシーで2メーターなので、毎朝8時15分には病院に着き、9時15分には戻って、その後出勤した。
近年のがん治療では、費用の点からも「働きながらがんと戦う」「働きながら、がんと生きる」という生活の質に力点をおいた治療を推奨していて、職場の理解を得るために病院や医師、ケースワーカーが職場を説得してくれる。
国立大学法人勤務で教育職である私は、もともと自由裁量制の働き方をしているので、その点は非常に幸運であった。
とはいえ、体の不調はだらだらと続き、持病の糖尿病治療や心療内科での治療も継続している。
困ったのは、がん治療の費用である。
いわゆる「がん保険」にははいっていなかった。
まだ職場で現役で働いているので、高額医療申請をすると、何ヶ月か後には、一部の金額が払い戻されるし、年度末の確定申告では還付金申請で戻ってくるのではあるが、
がんの手術に15 万円。
抗がん剤点滴に一回3〜5万円を3週一度で10回ほど。
分子標的薬の点滴治療(まだ継続中)が一回35000円ほどを来年の2月まで続けるのである。
また、糖尿病のインスリン治療にも月に10000円ほど、心療内科の治療にも10000円ほどかかる。
ので、だらだら、だらだらとお金が出ていく。
貯金はみるみるマイナスになり、かなりつらい。
勤務も完全に勤務できているわけではないので、勤務評定のクラスが落ち、賞与の支給基準でも響いた。
まだ、独り者なので、病院に入院していれば、その大部屋にいる間は光熱費食費無料だが、それこそ家族がいる場合の生活費はまったく余裕がない。
こういう経験をしているので、ともかく会う人には「がん保険にはいっておきなさい」と勧めている。
まだ、私の場合は転移がないので、あと5年の監視とホルモン剤療法を続けるだけである。
あと、6年たったら定年になるので、そのあたりで人生の一区切りがつく。

異なるものを排除する社会の正体。日本という国の不気味さ。

異なるものを排除する社会。
先日「障害者は安楽死をさせるべき」という主張をした26歳の青年が、そういう趣旨の手紙をわざわざ衆議院議長に手渡し、総理に相談したいといい、障害者を抹殺すると具体的な計画を書いて、そののち、措置入院などを経たあとにもかかわらず、計画を実行して、相模原市知的障害者身体障害者施設に侵入して19人を殺害、20人以上を傷つけ、そのご出頭した、という事件に発展した。ただいま2016年の7月28日であり、その後どうなっていくのかはあまりの反倫理的な主張に、皆が「精神的な異常なのか」「異常では無く極端なまちがった考えを実践したのか」戸惑っているところである。

 障害者への究極の差別のこの事件は26歳の若年層(の一部)がどんな常識をもっていたかということを示している。
 彼が精神に異常をもっていたとしても、彼自身は障害者を排除するという法律を作ってほしいと思っており、それを衆議院議長と首相に相談したいと思っているという点で
1,反社会的常識をもっている が、
2・「不可視な」社会の願望を代表していると自負している
ので、
「反倫理的」ではあるが「反権力」ではない。
むしろ、権力に自分のやったことをやってほしいと思っている、自分の思った障害者排除への布石をおいたとの自信があの笑顔であろうと思う。

異なるものを排除する社会の傾向は、近年の異民族の名を冠したヘイトクライムに見るまでも無く、
中学や高校での「風紀」規則に何十年も現れている。
 いつもあやふやなまま、なんとなく「6年の我慢」で済まされていた「高校生らしい」容姿と服装についての奇妙なステレオタイプである。
 学生服については、いわゆる学ランというのは微妙な位置にある。(制服研究というものがある)つまり、学生服というのはもとは兵士の洋装に発しており、その後一部エリート(旧制高校士官学校)の服装の誇りを引き継ぐものだが、その学ランを着崩すという反権力の象徴ともなった。改造学ランや、裏地の刺繍、など「不良文化=ヤンキー文化」はサブカルチャーの一ジャンルになってしまっている。だが、その反抗は、学ランを着崩してまで、なぜに「不良学生は学校に通うのか」という点で、権力の手のひらに乗っかった青いものであった。だから、着心地が悪かろうがその6年の我慢で解放された。(もはや大学で学ランを着る意味は応援団くらいしかない)
 しかし、天然の茶髪を「黒く染めろ」というのは、別である。
茶髪がいけない=高校生らしくない、というのは「髪を染めるのは不良であるからよくない」という観念とセットである。
 なぜ、茶髪がいけないのか。あるいはなぜ、男子の丸刈りや、女子の髪型制限がよしとされているのか。
 私立学校は「我が校のカラーである、我が校の伝統である」といって逃げ「いやなら、退学を」と迫る。反抗する生徒は「学生身分」を手放せと迫っているわけで、「なぜいけないのか」については、今まで明快で合理的な返答が得られたことがない。
 また「日本人ならば黒髪である」という常識はいつから権力の側の強制事項になったのか。
 私個人は小中高校と公立学校であったので、「もともと髪が茶色である」ということで、良識ある教師は「黒く染める」ということを求めなかった。
 だが、「茶髪狩り」は黒く染めろと指導があった時点で、人権侵害である。
 天然の茶髪者はマイノリティであり、世界に数々ある人種の容貌で、なかなかわかりにくい東アジア人の特徴を逸脱したものと判定されたわけである。欧米の白人の留学生は金髪を染めろとはいわれないであろう。(白人女性の金髪はかなりの割合で染めている人が多い。ヒラリーも夫が大統領候補になったときブルネットでは評判が良くない、というので染めている。マリリンモンローの金髪もそうである)
 もとが「不良発見の印」であったとしても、このような非寛容な判定条件を唯々諾々と曖昧にそのまま維持してきた日本社会の「常識」とはマイノリティ排除が堂々と行われてきた、少なくとも見えなければ(ある場所にマイノリティを押し込んでおけば)いい、という不気味な社会である。
 そこでは、常に個人を社会=国家基準が凌駕しており、いずれ全体主義に走らされる要素が消えてはいない。個人の尊厳や人権について少なくとも西欧のいう人権はないに等しい。日本が「人権」を無視できないのは、先進国として欧米基準の人権を認めなければ、国連という「近代西欧の始めた国家クラブ」への参加を認めてもらえないからである。そこには、「人権と排除されるマイノリティ」について真剣に考察したことがない社会が存在している。

手術の後

1月27日に相良病院に入院し,29日に乳がんの摘出乳房温存手術。
で,2月8日まで入院していて,その後自宅療養。もう,職場の仕事はほとんど参加できないも同然。ありがたいことに,演習の受講生が少なかったので,事情を話して評価させてもらった。
手術の結果は23日に病理説明。ドキドキして聞きに行ったら,切り取った部分にがん細胞は見当たらなかった,ということ。つまり術前抗がん剤治療の効果がすごく良かったことになる。医師はたまにこう言う人がいるのですよ,とニコニコである。
とはいえ,再発予防のためにまた抗がん剤の種類を変えた両方の継続とその後が放射線治療がある。
まず,3月半ばにドセタキセルというものを点滴するために規定により一週間入院。さらにハーセプチンを一回しかやっていないので,その継続と抗がん剤クールが続き,順調にいった場合には,6月に毎日25日の放射線治療が始まる。そのあとはホルモン療法だろうか?ともかく,お金がかかる。

手術延期からもろもろ

乳ガン手術の予定が年末の当日になってキャンセル。糖尿病の血糖値が高すぎる、というので、まず一月4日に糖尿病の治療のための病院に入院し直しました。21日まで居て、改善したので、退院し、そのあいだ、編み物ばかりしてました。
 来週からこんどこそ乳ガン手術のために入院予定。
 その前に、入院中編んでいて、この冬は四枚目になるウールのセーター完成。

そして、今日はもんのすごい寒波で、トンデモなく珍しい大雪となりました。

年末の入院予定。

抗がん剤FEC療法のクールが終わって、次のハーセプチンとパクリタキセルのクールに入りました。
とたんに、副作用で、味覚障害と貧血と肝臓と心臓への負担がでました。でも、FECがよく効いて、マンモやエコーでみても胸のしこりはほとんど映らなくなりました。
 わたしがかかっている病院は割と有名で症例を多く扱っている女性専門の病院なので信頼が置けるところなのですが、たまたま二回目のハーセプチンの治療に行ったとき(抗がん剤の点滴による外来です)院長先生がみてくださり、事前の検査と副作用の状況から、「これは、体に負担がかかっているから、一端抗がん剤はおやすみして、先に手術をしましょう。」ということになりました。
 なので、ほぼ連日のように手術のための検査に入っています。
 最終スケジュールはまだ未定ですが、年末の手術になることになり、大晦日と正月は入院中になりそうです。
 来年は、「高島易断」によると、そんなにいいしるしではなく、母も私も同じ星なので、お互い気をつけないといけなそうです。
入院、手術も3年連続になります。
おかげで、あまり今年はいい仕事ができなかったと反省もしてます。来年こそ、なんとか乗り切れますように。